編み物と卑屈

アラサー女性の生活と思考、そして時々心理学

書くことの滋味

ブログを始めて、文章を書いたり、他のブロガーさんの記事を読む機会が増えました。
小説や雑誌とは少し違う、「個人の体験をありありと感じられる文章」に触れることの面白さを味わっております。

 

読むこと、書くことは面白いです。

今回は、特に「書く」ことについて感じていることを、まとめておきたいと思います。

 

 

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思考を観察対象にする。「書く」ことの価値はここに凝縮されていると思います。
この価値には、以下のような要素が含まれると考えます。

 


まずひとつめは、「自分の考えを捉えることができる」という点。


私たちの頭の中の考えは、思ったよりも混沌としていて、非常に早く移り変わります。
整理できているように思えても、実は気づかないうちに、考えが変な方向に向かってしまったり、視野が狭まってしまうことがあります。
「嫌なことがあった」という考えは、そのまま暴れまわらせておけば、途端に「自分はダメだ」「この先もずっと不幸だ」という極端な思考につながりかねません。
私は特にそういうタイプです。


姿を次々に変えながら、縦横無尽に好き勝手に頭の中を駆け回る思考たちに圧倒されすぎないように、思考を捕まえなくてはいけません。

そんなときに、「書き留める」のはとても役立ちます。


「書く」ことを意識すると、私たちは自然に、今起きている思考を観察することができるようになります。


自分の考えや体験をあたらめて言語化しようとする営みの中で、「ああ、自分は嫌なことがあったと感じているのだな」「それで、すごく悲しい気持ちになっているのだな」と、程よく他人事に捉えることができるのです。

自分の体験を、今まさに振りかかっているいるものではなく、物語として捉えることができる。
巻き込まれる側から、攻略する側へと、視点を逆転することができるのです。

 

 

 

次に、「考えを可視化できる」という点。
紙やディスプレイに思考を記録しておくことは、考えることの負荷の軽減にもつながります。

多くの場合、頭の中だけで考えるよりも、思考の道筋やポイントを目で見て確認できるほうが楽です。
書き記すことによって、思考の流れを目に見える形にしておくことは、考えやすくするために大切なのです。

 

思いついたことを忘れそうになったり、混乱しそうになった時も、「書いてあるから大丈夫」と安心材料にすることができます。

不安や心配が止まらないときにも、紙に書いて外に出してしまえばひとまず安心できます。

 

頭の中の容量が空くので、これまで考えなかったような視点やひらめきが得られることもあります。
「思ったことを書いている」うちに、「書きながらだからこそ思いつく」ことも多々あるでしょう。

 

 

そして、最後に、「インプットが得られる」という点。
何かを書くとき、必然に、私はその文章の「読者」にもなります。
見過ごしていた自分の考えや、書く中で新しく発見したことを、文章として読むことができる。
思考や気持ちが言語化・可視化され、アウトプットと同時に、自分についてのインプットを得られます。


ブログを書いているうちに、「ああ、私こんなこと感じてるのかぁ」「え、こんな考え方もできるのか」と、自分の文章なのに意外に感じることがよくあるのではないでしょうか。
これは、自分を客観視し、自己理解を進めるうえで、とても大事な営みです。

 

 


余談ですが、心理支援でも、「気持ちや考えをとりあえず書き出してみる」という方法が助けになる方は多いです。

頭の中だけで考えずに、思考や気持ちを外在化することは、メンタルヘルスにも役立つようです。

 


以上、散文ですが、ブログを書きながら考えたことについて、「書き」散らかしてみました。

今度は、「読む」ことについてもまとめてみたいなぁと思います。


それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!