編み物と卑屈

アラサー女性の生活と思考、そして時々心理学

夢見上手の眠り下手

 

30年近く生きていますが、眠りとの付き合い方がいまだにわかりません。


眠りのことを考えてまず思い出すのは、子供のころ、保育園のお昼寝の時間。
私はこの時間がとても苦痛でした。
どうにも、「自主的に寝る」という感覚がわからなかったのです。どうしたら自分が眠れるのか、よくわからないのです。
他の子がすやすやと眠る中、「どうしたらうまく眠れるのか」が頭の中でぐるぐる回り、泣きそうになりながら葛藤していました。


静寂の中の、保育園の天井、ブランケットの模様、先生の忍び足の足音、布団の中の息苦しさ。
今でもありありと思い出せます。

子供なりに、「あえて目を閉じずにいればよいのでは?」「深呼吸をしてみると眠れるかな?」と、いろいろ試してみたのですが、どうにもうまくいきません。
「寝なきゃ寝なきゃ」と思ううちに、ドキドキしてきて、ハカハカしてきて、泣きそうになります。

 

 

なんとか寝たら寝たで、また厄介な事項が待っています。

 

夢です。


昔から、夢をよく見ます。子供のころに見た夢のいくつかは、今でもはっきりと覚えています。
「あれって夢だったっけ? 現実だったっけ?」ということもよくあります。


毎晩夢を見るので、眠るときはいつでも、小さな映画館に閉じ込められて、見たくもない映画を見なくてはいけないような気持ちです。
夢の大抵は不安になるような内容ですが、時々幻想的だったり、なかなか面白いストーリーの夢もあります。
夢の中では、眼前に星空が広がる幻想的な天文台にたどりつける場合もあれば、ソファの下に生首が転がっていることもあります。
入ってみるまで、どんな映画を見させられるかわかりません。

 


大人になるにつれてだんだんと、夢の中でも「今夢を見ているな」ということがわかってきて、夢の登場人物たちに「ちょっとたぶんこれ夢だから、起きるね」と許しを得て、目を覚まそうとすることが多くなりました。
夢の中で目を覚ますコツは、体にぐぅっと力を入れて、目を見開くような感じで踏ん張ること。

それで上手く起きることができる場合もあれば、中途半端に意識だけ起きて、金縛りに陥ることもしょっちゅうあります。

 


最近は、不穏な夢を見ても、「まあ、なかなか面白いサスペンスだったな」と楽しむ余裕も出てきました。
それでも、本当に厭な夢を見た日の朝は気持ちまで落ち込んで、まるで自分が本当に、夢の中の惨状を実際に体験したかのような気分で目覚めます。
そして、休むために眠ったのに、逆に精神力を削られるなんてどういうことだ、と憤りながら朝の支度をします。

 

 

 

こんな私でも、少しずつわかってきたことは、「寝ようとすると眠れない」ということです。
寝る前にスマホを見ない、間接照明を使う、アロマを試してみる、眠くなるまで布団に入らないなどなど……いろいろやってみましたが、どれも私にはあまり合いませんでした。
どの方法も、「寝るためにやっている」と思うと、途端に逆効果、眠れなくなるのです。
「あんなに寝るための工夫をしたのに、なんで眠れないの」という気持ちでハラハラしてしまうのです。

私の場合、まずは「寝よう」という気持ちを取っ払う方が、逆説的によく眠れるようです。


あまりお勧めはできない方法ですが、私は仕事でも、朝の時間はなるべく個人の事務作業に充て、お昼前くらいから本格的な業務を入れています。
こうすることで、「まあ、最悪寝付くのが遅くなって起きられなくても、人には迷惑をかけない」という感覚を整えます。
寝るときも、特別な工夫はせず、なんとなーく布団に入ります。
何も意識せずに、「寝れなかったら寝れなかったで、まあいいや」くらいの姿勢でいます。

 

 

まあ、そんなこんなで、眠るのが下手です。
大人になって、お薬の力も借りながら眠りにつくこと自体はできるようになってきたのですが、お薬なしで自力で眠ることはできません。
寝ることの気持ちよさもわかりますし、「寝たいなぁ」と思うことももちろんあります。でも、下手。

夢は夢で楽しいところもあるのですが、やはり「こんなに毎日短編ドラマみたいな夢を見ているということは、よく眠れていないのではないか」という心配はぬぐえません。

とはいえ、夢を見なくなって、本当に睡眠中に「無」になる感覚も恐ろしい。
なんとなくそれは死に近いような気がします。
もしかして、私が夢を見るのは、「無」になることへの抵抗なのかしら。

 

眠るってなんなのか。


なんとも不器用なものです。