編み物と卑屈

アラサー女性の生活と思考、そして時々心理学

境界が崩れる現代~デジタルデトックスをしたい

目次

 

SNSの功罪

かねてより、X(旧:ツイッター)を使っています。
いくつかアカウントを持っており、用途ごとに使い分けています。
時間が空いた時にはついついXを開いてしまうので、やや依存症に近い状態かもしれません……。

Xも含めたSNSは、現代社会において、非常に便利なツールです。
・いろいろな情報を瞬間的に集められる
・自分と興味関心が合う仲間を簡単に見つけられる
・自由に手軽に自分の意見を言える
あたりが、ぱっと思いつくメリットでしょうか。

 

ですが最近、私も年をとったのか、SNSのデメリットの方によく目が向くようになりました。
先ほど挙げたメリットも、人や使い方によっては、
・入ってくる情報が玉石混交である
・コミュニティの質を精査しづらい
・社会的に望ましくない発言もできる
といったデメリットにもなります。

 

いわゆるSNS疲れの私、いったい何に疲れているのか、言語化してみようと思います。
これから書くことは、もっともらしく書いてしまうかもしれませんが、すべて私の主観的な意見に過ぎませんので、ご了承ください。

 

 

私が最近モヤモヤすること

 

私がXを使う中で、最近特にしんどくなってきたのが、「主語を大きくして相手を批判するポストが多い」というところです。
最近とくに目にするのは、「男性は〇〇だからダメだ」「女性は〇〇で嫌だ」といった、異性をまとめて批判する論調です。
芸能人の性加害問題などもあって、こうした対立がさらに激しくなっているのかもしれません。
性別の対立だけでなく、「〇〇の国の人はマナーが悪い」「学歴が〇〇だと幸せになれない」といった、主語の大きな主張も見られます。
少し、モヤモヤしませんか?

 


もちろん、主語を大きくした議論はある程度必要ですし、事実や現実を反映しているものもあるでしょう。


そもそも、自分が属さない集団に対して、主語が大きくなってしまうのは、実はある程度仕方のないことなのです。

社会心理学では、自分が属する集団を「内集団」、属さない集団を「外集団」と呼びます。
あなたが「日本人という集団に属している」という意識があるのならば、「日本人」があなたの「内集団」で、外国の方の集まりは「外集団」となります。

人間は、内集団に属する人々に対しては個性を認めます。同じ集団の中にいても、人それぞれ違いがあると知っています。
一方で、外集団に属する人々のことは過度に画一的に捉えてしまいやすいのです。


少し、例を出します。
私は東北出身ですが、「東北の人って寒さに強いよね」と言われると、「いや~、たしかに寒さに強い人もいるけど、めちゃくちゃ寒がりな人もいるし、いろんな人がいるよ」と思います。
これは、私にとって東北が内集団だからです。

ですが、外集団に対しては、あまり吟味せず、「ハワイの人って暑さに強そうだよね~」と言ってしまうことがあります。
これは、ハワイが私にとって外集団であり、画一的な見方をしているからです。


では、外集団に対するバイアスを取り除くには、どうしたらよいのでしょうか。 
これはシンプルで、外集団のことをよく知ろうとしたり、外集団の構成員と交流することです。
例を挙げると、私がいろいろなハワイの人とかかわれば、「ハワイには確かに暑いのが得意な人もいるし、暑さが苦手な人もいる」と分かるはずです。
……なんだかあまり良い例じゃない気もしてきました。実際どうなんだろう。

 

まあ、以上のように、自分が属さない集団について考えるときに主語が大きくなってしまう、ここまでは、人間の心の仕組みとしてある程度仕方のないことなのです。

 

ですが、そうした心の仕組みに惑わされ、主語が大きいまま、他者を「言葉に出して批判する」ことは、また別の問題です。
バイアスが自分の心の中で働いていることにも気づかずに、相手を攻撃してはいけません。


前述のとおり、自分が属さない集団についても、「相手のことをよく知ろうとする」「相手の集団と交流する」ことで、画一的な見方から脱することができます。
画一的な見方から脱することができれば、冷静に多角的に相手の集団を理解・分析することができます。
異性と交流したり、他国の人と交流したり、違う立場・学歴の人と交流する。そうした経験が豊富になればなるほど、ある程度偏見から脱することができます。

言い換えれば、過度に主語を大きくして、感情的に相手を批判する人は、「相手のことを実はよく知らないのに、極端なものの見方をしていることに気づかずに、相手を決めつけて批判している」。
どうしても、私の目にはそう映ってしまう(これも私のバイアスかもしれません)ので、なんだか少しイライラしてしまうのです。

 


実際の自分の身の回りを見てみると、必ずしも男性だからといって私を傷つけるわけではないし、外国の方のマナーがすべて悪いわけでもありません。
それを知ってはいるはずなのに、実際にXで主語が大きく語調が強いポストを見ると、それに流されて不安になってしまう私もいます。

「どんなに優しい男でも、いつか必ず浮気をするから信用してはいけない」「女は結局男の金目当てだ」というポストを見ると、「私のパートナーさんもいつか浮気をするのかしら……」「パートナーさんにも、私はそう見えているのかしら……」と勝手に落ち込んでしまいます。


当の本人は、そんな私を見て、「ずいぶん偏った意見に踊らされてるねぇ」と面白そうに笑っているのですが。

 

 

SNSが崩す二つの境界

上述の点のほかに、私が懸念していることとして、SNSと「境界」の問題があります。
私たちが生きる上で、「境界」はとても大切です。
必要以上に自分や他者を傷つけず、尊重し、健全に生きていくために、「これは、ここまで」という意識が必要なのです。

 

・「あなた」と「他人」の境界

 

SNSは、瞬間的に、多くの人のポストを見ることができます。
誰かが食べたもの、誰かが行った場所、誰かが経験したこと、誰かが思ったこと。
これらの大量の情報がなだれ込んできます。

あなたの生活に、他人の生活が侵入してしまう。
これにはメリットもありますが、デメリットも大きいです。

SNSをすることで、普通に暮らしていれば比較しなくてもいいはずの他者と自分を比較し、羨む必要のない他者を羨み、苛立つ必要のない他者に苛立ちます。
それを楽しむことができる人もいるでしょうが、本来感じなくてもいいネガティブな気持ちが引き起こされることもあります。
10000円のネックレスをプレゼントされ、当初はとてもうれしかったのに、ほかの人が投稿した20000円のネックレスを見て、「自分がもらったものは安物だ、自分は大切にされていないのか」と思ってしまう人もいるかもしれません。本来であれば、満足できていて、幸せだったのに。

見ず知らずの他人の投稿に、本来であれば自分と全然関係ない他人の生活に、影響を受けてしまうのです。


同時に、自分の発信したことが、思いもよらない形で他者に伝わってしまうこともあります。
意図せず他人を傷つけてしまったり、攻撃されることもあります。


自分と他者の生活や発信の境界が曖昧になる。
これがSNSの怖いところです。

 

 

・「あなたの心」と「あなたの言葉」の境界

 

SNSにポストするときは、相手が直接目の前にいるわけではありません。
なので、実際に人を前にして話す時よりも、ストッパーが緩くなります。

本来であれば、他者の前では言えないようなことも、SNSではポストできてしまいます。
それは、ある意味「自由に意見が言える場である」という価値も生み出します。

ですが、その価値は、「人に向けて言うべきことではない言葉も、SNSでは言うことができる」という罪にも反転しえます。

普段は思っていても口にしないことなのに、SNSでは書きこんでしまう、ということがままあるわけです。

 

そして、SNSをしていると、誰かの考えが極端に批判されている場面を目にすることもよくあります。
誰かがふとつぶやいたことが炎上する。徹底的にたたかれる。

例えば、「うるさい子供が苦手」という発言が炎上し、強くたたかれているのを見かけます。
前述の通り、匿名性によって、必要以上のバッシングが起きていることもままあります。
すると、それを見た人は、「子供のことをうるさいって思っちゃいけないんだ」と感じます。


ですが、本来、人間が「どう思うか」「どう考えるか」は、個人の自由です。
何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が苦手か、どう思うかどう感じるか、それは誰にでも自然にあるもので変えようのないことですし、思うだけ、考えるだけなら、だれにも迷惑をかけません。

言葉や態度で表に出さなければ、言い換えれば、自分の「考え」と「言動」の境界をしっかり持つことができていれば、あなたの気持ちや価値観は、守られてよいものなのです。

そして、良くも悪くも個人の意見や考えを言えるようになった現代、「どこまでを自分の中で抱えて、どこまでを投稿するか」、その境界を保つことが存外難しいのです。

 


SNSでは、
人前であれば本来言葉にしなかったはずの気持ち(たとえば攻撃、妬み嫉み、色欲など)を、匿名性に流されて言葉にしてしまう。
そして、そうした言葉が極端に炎上すると、その言葉の外にある人格や考え、価値観自体まで否定されてしまう。
こうした流れがよく見られます。
匿名のまま、目の前に他人がいないまま、即座に自分の言葉を不特定多数に発信できるというSNSのシステムは、こうした事象を助長します。


その人の「言葉」と、その人のより根本にある「人格」や「価値観」「考え」の境界が曖昧になっていくのを感じます。

私にとっては、なんだかそれがとても恐ろしく感じられるのです。

 

 

デジタルデトックスをしたい

以上、つらつらと、SNSについて思うことを挙げてきました。
色々と書きましたが、私の主観的な愚痴に過ぎない内容だったかもしれません。

ここまで書いて、やはりXからは適度な距離を置いた方がいいなぁ、と思いました。

いらいらしたり落ち込んでしまう恐れがあるとわかりつつ、必要以上にタイムラインを開いてしまうのは、悪習に他ならないでしょう。
メンタルヘルスのために、Xとの付き合い方を見直す必要があります。
私とSNSの間の境界をきちんと決めるのです。

これからは、以下のような点を意識し、適度にデジタルデトックスを図っていきたいと思います。。。
・不快な情報は必要以上に追わない
・おすすめ欄をだらだら見ることを辞める
・Xに依存する時間を、読書などに置き換える


もちろん、すてきで面白くて役立つポストもたくさんあるので、そういう美味しいところだけ吸っていこうと思います笑


以上、まとまらない文章でしたが、最後までお読みいただいてありがとうございました。