編み物と卑屈

アラサー女性の生活と思考、そして時々心理学

しんどさ

なるべく冷静にブログを書こうと思っていたのですが、そうもいかないものですね。

 

メンタルが落ちています。

わりと要因ははっきりしているのですが、そのストレス要因が今すぐに解決できるものでもなく、途方に暮れています。

落ち着いたらブログにまとめたいです。

 

私は考え方が極端で幼稚なので、こういう時に、人生まるごと嫌になります。

 

たしかに、「生きててよかった」と思える瞬間も、これまで一粒、二粒くらいはありました。

でも、それを上回る無数の不幸不安な不平不満の山。

両手いっぱいの汚泥の中に数粒の砂金があったとして、その汚泥をまるっと飲み込むことはできないのです。

 

 

この不幸はすべて自分の容姿や性格、気質に起因しているので、この体も心も捨ててしまいたくなります。

悩み続けてぶっくりとネガティブな陰気に膨らんだ脳も捨てたい。

私自身と、人生という望んでもいない重い鎧に、苦々しい恨みをぶつけるために、すべてを終わらせたくなる。

でも、それはあまりに破局的な選択であるということもわかっています。

 

 

仕事上、こういうときは、「自分を癒やしてくれるものに触れましょう」「体力があるならどこかに出かけてみましょう」と当たり障りのない助言をするのですが、私個人の対処法はもう少し物騒で不謹慎です。

 

 

 

布団に横たわり、自分がすでに亡くなっていて、棺の中にいると想像する。

焼かれる前の、狭く息苦しい窯の中に置かれた棺。

添えられた生花が私の頬を冷たく撫で、人間の最期の香りが悲しく肺を満たします。

 

息を深く吐き出して、それとともに私の記憶や思考や生命が体から抜けていくイメージをします。

私の存在が、この二酸化炭素と一緒に、薄く薄く、この空気の中に消え広がって行きますように。

 

 

 

というのが、私の落ち込んだときの対処法です。

 

こうして、少しだけ「死んでみる」と、多少気持ちが落ち着く気がするのです。

 

まあ、それでも現実は変わらないのですが。

 

 

 

とてもネガティブな記事になってしまいました、すみません。

濡れた衣服のように、体にべったりと重く貼り付く人生というものを、どうにか飼いならしたいものです。